ほんの一週間前まで建物の形がまだ残っていると思っていたら、今日は、コンクリートの山になっていました。旧慶友病院、その前は慶応義塾大学病院、その前は亀谷病院、早修学区名所案内⑪番によると、古くは御師・葉山大夫邸の後地だったそうです。常磐町のランドマークともいえる建物、また病院という一人一人に特別な思いがある建物、それがなくなってしまい少し寂しい。

昭和20年代半ばの早修小学校の卒業生は、石を蹴っ飛ばしたら同級生にあたる。という浦ノ橋商店街でした。

もう建物の面影もなくコンクリートの砂利の山になってしまいました。